ジェンダー平等について考えたりしてみる
ジェンダーに限らず、世の中の平等を目指す動きは、やりたいこと、やれることがあるのに、本人にはどうしようもない理由でその機会を奪われる理不尽を解消すること、それによって人々の幸福度を上げていくことに、そもそもの狙いがあるものと考える。
あるパラメータだけを切り取って平等平等と叫ぶことで、他の平等が犠牲になったり、窮屈で生き辛い世の中になっては本末転倒のおそれもあろう。
また、ここで言う「能力」には、業務遂行に直接的に関わるスキルだけでなく、コミュニケーション能力や、人にやる気を出させたり、場を明るくしたりする間接的な能力も含まれて然るべきだろう。そしてその中のひとつの要素として、性差による特色、例えば女性ならではのセンスのよさであるとか、男性ならではの体力であるとか、そういうものも入っていいんじゃないかと思う。
これは例えば貿易に置き換えたらわかりやすいが、工業国であるA国と農業国であるB国が、工業製品と農産物を交易するイメージに近い。
この状況での平等とは、適正な価格や条件で通商を行うことである。不平等とは、相手の不利や無知をいいことに安い値で買い叩いたり、不当な関税をかけたりすることである。異なった産物や付加価値を持つ国や部族同士が正当な条件でそれらを取引することを不平等とは言えまい。
男女の差だって突き詰めれば同じことで、それぞれに特色があり、得手不得手もある。無論、男はこうあるべきとか、女のくせにとか言ってるわけではなくて、持って生まれた特長を活かして何が悪いという話である。性別由来の強みであっても、自分の戦闘ツールのひとつとして取り入れ、総合的な付加価値を形成していけばいい。そして組織の側は、そこを踏まえた上で、求められる職務に応じた能力を持つ人を、性別によらずフラットにアサインし、正当な待遇で処遇せよ、ということである。
上にも挙げたジェンダーギャップ指数(GGGI)という指標では、日本の順位は153ヵ国中121位(2019年12月発表時)とひどい順位で、これが、日本は遅れてると散々に言われる一因になっているわけだが、この中身をつぶさに見ていくとあれっ?と思わざるを得ない部分があるのに気がつく。前にも例を挙げた、分野別にはトップクラスのものもあるのに、全体の成績がかなり悪く集計されてしまうとか、そもそも国の人口構成そのものに偏りがあるのにそこが考慮されないとか、男性側の不平等が数字に出てこない点とか、各パラメータの点数の配分の問題とか、それこそ挙げ出したらキリがない。
どれも、ジェンダーギャップ指数(GGGI)よりはましな成績に見えないだろうか。もちろんこれらの指数はどれがよくてどれが悪いと言う単純な話ではなくて、それぞれ狙いどころと設計が違うだけなので、目的や切り口に応じて最適なモノサシを選べばいいということである。
ちなみにBIGI (男女不平等基本指数)で日本の順位が80位と低めなのは、女性よりも男性が若干不利となっているせいで、女性の健康寿命が長いのが効いているらしい。こう言う男女双方からの視点も大事だろう。
以上、取り止めもなく書き綴ってしまったが、このテーマは世の中の流れとしてだけでなく、人間や民族の普遍的な価値観に関わる重要な論点だと思う。皆さんのご意見も広く聞かせてもらいたいので、今後の百式会でも是非取り上げてみたい。
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