結局
ジェンダーギャップ指数は、万能の器ではなく、色々と瑕疵もある。実際、指標によっては、変なバイアスがかかることも少なくない。例えば内乱や政変で男性人口の激減した国のスコアが高く出るような欠点もある。それでも、世界のGender Equalityに関しては、現時点で一般的な拠り所にされている指標である。
これを前提に話を進めると、森さんが辞任したところで日本のジェンダーギャップ指数が改善することはほぼありえない。我々ひとりひとりが意識を持って、各々の手の届く範囲でコツコツとやるべきことをやるしかない。日本のGender Equalityに対する国際社会の信用を高めるとは、即ちそういうことではないだろうか。
最後は、事ここに至った成り行きの気持ち悪さである。偏向した切り取り情報で、オリンピックの招致、開催準備にこれまで尽力してくれた功労者を袋叩きにし、いとも安易に辞任へと追い込んだ一連の流れの不気味さである。
失言に対する責任問題を追及するにしても、国家の一大イベントを取り仕切る大役である。せめて公正な裁定機関を設けて発言の中身を改めて吟味し、きちんと弁明と説明の機会を準備した上で、責任の程度やことの軽重を判断するぐらいの手続きが踏めなかったものだろうか。協会や政府、選手側からまともな援護射撃がなかった(少なくとも我々にはそう見えた)のも大きな疑問だ。
これって、証拠不十分で裁判もせずにリンチを始めたのを、身内も含めて皆が黙って見てたと言う状況に近いんじゃないだろうか。
誰かがつまづいた瞬間に、そこまでの貢献や恩をすっかり忘れて(あるいは最初から知ろうともせずに)揚げ足を取ったり、石を投げたりするのは昔からある。
日露戦争後の極めて難しい交渉を何とかまとめてきた小村寿太郎や当時の政府に憤り、民衆が日比谷焼き討ち事件を起こした事例もある。あるいは、罪滅ぼしに栗や松茸を届けたごんぎつねをいきなり撃ち殺したりもした。これはちょっと違うか。
情報インフラが整っていなかった昔のことならまだしも、今の時代、しかもジェンダーギャップがどうとか、国際的に恥ずかしいとか言ってる一方でこんな前時代的なことをやってるのはアリなんだろうか。
相手の立場や見解を認めつつ、しっかり議論をして、その時点で取り得る最適解(満点解ではない)を探っていくのが、文明国のやり方であり、平等性、多様性、受容性のベースになるものじゃないんだろうか。
第一、個人的な好き嫌いや過去の失言、失策はあったとしても、病身に鞭打って、いわば命がけでこれまで国のために尽くしてくれた人への恩を忘れて、後ろ足で砂をかけるようなことをするのは、あまりに恩知らずじゃなかろうか。
上に挙げたジェンダーギャップ指数の教育、健康分野の成績がトップクラスなのも、森さんを含めた、先人の努力のお陰だろう。そんな因果もコロッと忘れて恩知らずなことばかりしてると、今は亡き婆ちゃんの言い方を借りれば、今にバチが当たるぞと言いたくもなる。
まあ僕のこんなくだらない心配なんぞ外れて、杞憂に終わってくれたらそれが一番いいんだけどね。
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