ステイクホルダーの顔と顔

五輪開催の是非については、防疫的な観点、アスリートの立場、色んな角度から様々な意見が飛び交っている。最近、契約面、金銭面から背景をわかりやすく説明してくれている記事をいくつか見つけたので、情報を整理してみる。

  • 五輪開催の決定権はIOCにあり、日本には何の権限もない
  • 主要登場キャラ、契約の流れはこんな感じ
    日本(政府、東京都、大会組織委)

    IOC

    メディア(NBC・ユニバーサル)

    広告スポンサー企業

  • IOCは、2032年までの五輪放映権をメディア側に売却済み。2020年の放映権に絡む広告枠はすでにスポンサー企業が購入済み。

今後起こり得るシナリオとしては、以下の3パターンが想定される。

  1. IOCが独自の判断で中止を決める
  2. 日本(政府、東京都、大会組織委)が中止を求めてIOCが承認する
  3. このまま開催する

で、それぞれのシナリオが現実となった場合何が起こるのか。

まず1の場合は、スポンサーがメディア側に賠償を求める。メディア側はIOCに賠償を求める。日本側はお咎めなし。IOCは当然このパターンは嫌がる。だからIOCから率先して止めようとは言えない。

2の場合は、賠償請求の矛先が、IOCから日本に転嫁されることになる。IOCは、開催国が止めたいと言っているから止めてあげましょう、でも責任はうちじゃないよ、というスタンスになる。日本側としては無論避けたい事態だから、これまた止めましょうとは言い出せなくなる。

で、言い出したもん負け、みたいな両方だんまりのチキンレースが続くわけだが、その間は1、2の選択肢はないものとして振る舞わなければならない。つまり本音のところは置いといても、3のシナリオをあくまでも貫く体にしとかなければならないわけだ。(そしてこのまま放っとくと、無観客でも、一部の選手が来れなくても、とにかく帳面消しにやってしまおうという流れになりかねない)

こういう事情が、今起こってる不可解で煮え切らない、時に不愉快な現象の背後にあると考えると、納得はないにしても、多少合点はいく。こんな状況下だと、それこそ事務方の人なんかは、心身共に擦り切れてしまうぐらい苦労されてるんじゃないだろうか。或いはそれを通り越して、何も感じなくなってしまってるとか・・・

恐らく、我々の見えないところで、水面下での交渉、駆け引きみたいなものはきっとあるのだろう。もしそうでないとしたらあまりに希望がなさ過ぎる。なので半ば強引にそうであると仮定する。

交渉では、相手、身内、第三者(世間とか国際社会とか)の存在を想定し、事実関係を開示するにせよ、建前を通すにせよ、ケムに巻くにせよ、細大あらゆる情報を重要なカードとして、どう切っていくが戦術の一部である筈だ。だとしたら、今のやり方はあまりにも雑に見えてしまう。

総理・体協トップ経験者という重みをしてやっと政府や都を含めた関係組織を動かせるというのは分からんでもない。「代わりがいない」というのはきっとそういう意味合いなんだろう。でもそれならそれで、優秀な広報を前に押し出して、元々失言の多い御大を出来るだけ引っ込めておくような工夫はなかったもんだろうか。忖度やら遠慮やらで、そんなことも出来なくなってるんだとしたら、そっちの方が深刻なのではなかろうか。

ドリフの大爆笑並の「もしも」になってしまうが、失言のリスクも込み込みで敢えて危険人物を露出させ、内外からの轟々たる批判も覚悟のうえでわざと場を荒らさせて、国際世論の注意を本来の論点から逸れたところに誘導しているのだとすれば・・・

もしそのような高等戦術が納得づくで行われてるのであれば、まだまだ望みはあるような気がするのだが。

最後の最後で、ダメだこりゃ、にならなきゃいいけど。

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